日々想うまま徒然日記 5
人間万事塞翁がフォケロス
2005年4月の終わりのある日、仙台に行った。
この旅行のあいだ、暇に飽かせて(苦)相方のYaさんが、セッションで解放してくれた『わけのわからないもの』のことをずっと考え続けていた。。。。。
その日彼女は、私の中からものすごく色々いろんなものをとりだしては、解放してくれた。
私の解放は、でたらめで面白いという。
…そういう自覚はないのですが…
彼女にとっては、私は面白い素材らしい。私を解放する事で、なにかが変わる事を楽しんでいるような。その、影響をたのしんでいるような。もちろん私もめちゃくちゃ楽しんでいたけれど。3次元から4次元。いやもしかしたらあれは6~7次元か、137次元のジュボラケラストレンのゴロゴロ。つーなくらい。
多次元に渡って、多元宇宙に渡って、過去未来に渡ってのものだった。楽しくない訳が無い。
13次元の内分泌腺がぶっ壊れ「フォケロス」という正体不明物体が、突然生まれてパルプンテ。吾妻ひでおなら、『じりもわ~』が宙を舞っているという感じで。
-----------------------------------------------
さて
『わけのわからないもの』=フォケロス=という名称になった経緯
「わけのわからないものって、何か略語にできない?」
という相方の言葉で、絞り出したのが宇宙語の『フォケロス』(!!!)
フォケロスは本当にわけがわからないものだった.............
幾何学模様ちっくで
自由奔放、概念というものが無く
捕らえ所が無い
え?でも、それを言ったら、人間もわけわかめでフォケロスなんじゃないか?精神世界なんて全部フォケロスだろう。見えない世界=フォケロス。げーじゅつ=フォケロス。エネルギー=フォケロス。氣=フォケロス。
みんなフォケロスぢゃんか!…
わけのわからないものは恐ろしい。それは『予想不可能』だから。脳は、予測不可能なものを嫌う。全てが規則正しく、計算通りに、時間通りに、 めもりの通りに行かないと、ストレスを起こす。 でも、この世界に予測通りに動くものなどないのだ。規則も、計算も、時間も、目盛りも 全ての事は脳の中の決まり事。脳が、そう見て、そう信じているだけの世界が、3次元。そのことに、わたしたちが気が付くのは、いつの日だろう。在って無く、無くて在る世界。
仏教でいうところの「空」
で、わけのわからないものはおそろしいという、この(左脳の)信じ込みを解放した。こわいことなんてない、この世界はもともと、予測不可能なのだ。それ「予測不可能」を感じれればいい。そういう解放をしたのだった。
そうしたら、「フォケロス」という【わけのわからないもの】が増殖していく。
どんどん、どんどん、増えて行く。時空間に「フォケロス」がいっぱいになった。フォケロスだらけだ!意味不明だけど、そうなった!なにもかもわからない、でたらめだらけの、そして、わけわかめの、左脳の理解できない、でも、あるがままの。。。
まさしくフォケロス。
なんだこりゃっっ(すみません)(ほとんど泣き笑い)でも、すばらしい。
ゆったりと、でたらめを満喫できるなんて。すばらしい豊かさだ。。。
しかし、その時のわたしは、まだぜんぜん受け入れて無い感じで。じたばたが止まらない。
予測可能なものに、規則正しいものにすがろうとしていた。脳味噌はおいてけぼりを喰っている。解放してくれたYaさんの方がすっかりフォケロスの達人になって、このでたらめを喜んでいる。
すごい。
わけわかめを受け入れるって、かなり、すごい。それも、なんとなくわけわかめというより、『自覚的』に受け入れることが。自覚的ってことは、選択してるってことだし。でたらめを選択しているということだし。わたしだって、フォケロスの達人になりたいぞ!!!
…意味不明に生きる…
わけわかめを自覚し、選択する。そーだ、それだー。(でもどっかでじたばたじたばた)
あれから幾歳月。すっかり私の中は、でたらめになった。自然に、豊かに、それを取り入れている。〜有り余る豊かさ〜とは、在って無く無くて在るものを受け入れまた、そのどちらにも捕われずに生きる事。そのまま、なにも判断せずに、ありのままの世界を受け入れる事。
それを、今、わたしは生きている。
「ご静聴ありがとう!」
0コメント