日々想うまま徒然日記 3

■ KIN86 白い銀河の世界の橋渡し ■

=グレゴリオ暦2005年7月8日金曜日 白い銀河の橋渡しの日=

表装の教室に行ったら、今日は地下鉄の警備がすごかったという話になった。何ですか?それは?と、聞いたら、え、知らないの、昨日ロンドンでテロがあったのよ、テレビはそのことばっかりやっていたのに、知らないの?と、云われ…

昨日?日本時間で午後1時くらい?

…そうか。全然知らなかったし、昨日は帰宅してからテレビも見なかった、今日も出かける前はテレビをつけなかった「私って世捨て人っぽいでしょうかあ~」みたいな感じで会話を終らせた。テレビが当たり前の人には、こういう説明が無難。

その後、地下鉄に乗った。

別に特別警戒してるようにも思えなかった。永田町も乗り換え駅で通ったけど、別にこれといった警戒の声は聞かなかった。平和だ。極めて。

先日、バイト先の社長に一説ぶった内容を思い出した。

彼は何やら、インターネットの無秩序状態が、犯罪や、行き過ぎた精神状態を助長していてこわいよなーっと、思うそうだ。(集団自殺や、犯罪サイト、アダルト系サイトの事を云っていたらしい)

インターネットは、それ自体が人間の潜在意識をそのまま垂れ流したような世界だから、人間のネガティブな面がそのまま出てきてもおかしくないですよ、しゃちょー、みたいな話をした。

人間の奥底の奥底まで、インターネットがさらけだしている。

およそ、人間の醜い(あえて醜いというけど)面の汚濁が、これでもかと溢れかえっている。

人間の内面に抱えているものが、如何にネガティブなエネルギーを孕んでいるのか、ネットを見ていれば一目瞭然だよ。性善説なんか粉々だ。しゃちょーも、性善説にゃら性悪説にゃらとこぼしていた。むずかしいことはわからんが。人間の本性は悪か善か、みたいな。

   ちがう。そうじゃなくて。

本来善とか悪とかではなくて、そこにそれ、表現されているもの自体が人間なんだ。いいもわるいも無く、全部含めて、人間なんだよ。

世界中に起きている悲惨な出来事があるのなら、それは、人間の中にあるネガティブなエネルギーが出てきているのにすぎないのだ。テロが起きたら、人間の内側にあるダークサイドが出てきているだけなのだ。誰でも内なる闇を持っているんだから。

あれが悪い、これが悪いと判断する前に、自分の内側を見てみるといいんだ(自戒も含めて)そこにある闇を見てみればいい。逃げ隠れせずに、闇を見据えてみるといい。

外側に起きていることも、内側に起きていることも一緒なんだから。

そこから逃げ続ける限り、人間は潜在意識を売り渡したままになってしまう。

自分の闇を観なければ、自分自身を取り戻せない。

自分自身を、自分の手に、取り戻せない。

おもてに出ている現象と、うらにある人間の心はシンクロしている。

悲惨なテロを、自分が起こしている、なんて思う人はいないだろうな。

あれは、悪人がやったんだ、なんてひどいやつらだ…

それそれ、それとおなじ闇を自分が抱えているんだよ。

自分の闇を見るのは怖い。

誰でもそうだけど。

自分の闇を認めて、受け入れる。

逃げない。

受け入れることで、何かが変わる。

絶対に。

確信して思う。

今日はそんなことを考えた、橋渡しの日だった。

知り合いの坊主が(尊敬してない僧侶なので、坊主と呼ぶ)

華厳経の「帝釈網」=インドラネットをよく引き合いに出してインターネットを語る。

帝釈天の住まう宮殿(だっけなあ?)の周りに、網があって、その編み目ひとつひとつに宝珠(仏教での至上の宝のシンボル)が付いていて、一つの宝珠が鳴ると、網を伝って、他の宝珠も次々と鳴っていく(だったかな~~~適当)、そのようにして、仏の教えが広まっていく、という例えだった。

インターネットもそのように人間のひとりひとりが荘厳に鳴り響く音のたわむれになっていく……

みたいな感じなんだろうか???

   一人の悟りが、宇宙全体の悟りになっていく、という寓意。

  一人の闇は、宇宙全体の闇であり、一人の光は宇宙全体の光である…

知り合いのifさんも、インターネットでやり取りしたことは、現実化しやすい、

というような話しをしていた。

  インターネットは、人間の潜在意識を映し出す鏡だ。

気付きはじめている人もいるだろう

この世界の狂気は、人間の内なる狂気だということに。

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ドイツの映画監督ヘルツウォークの『アギーレ・神々の黄昏れ』のシーンが浮かぶ。

スペインのエルドラド隊が黄金を求めて、川を遡っていると、川岸の大きな木のてっぺんに船が引っ掛かっている。。。(かなりシュールな 光景)

狂気が進行していくと、異常なことも異常に思えなくなる、ということの象徴的シーン。

木の上に船があるのを見ても、誰も変だと思わない。異常なことを異常と思わないところが、今の時代の狂気とそっくり。

ただ、そこで、木のてっぺんに船があるのはおかしい…と、気が付けばいいだけなのが。。。

そのエルドラド探索隊の人々には、すでにそういう判断能力が失われていて、ひたすら川を行く事だけが「目的」になり、訳が解らなくなっているのだった。(私の記憶では確か…)

最終的には、何が異常で何が正常なのか

それはオノレの内側の判断基準しかないというのも事実?

狂気を正常とすれば、正常なんだろうな。

でも?…

でも。

ハダカの王様にならないようにしたいもんだ。

そして最終的には、「王様はハダカ」と指摘されても、「自らハダカを選んでいるのだ」と胸を張れればいいのかもね。。。。

自ら選び、自ら演じている。そのことを認識すればいいだけのこと。

世界はかように単純なものかもしれない。もしかして。

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橋渡しといえば、そのようなもの…『受け取る』ということが、最近感覚として腑に落ちてきている。

潜在意識からの働きかけか、あの世からのメッセージか、見えぬ存在からのアプローチか

そういう、裏の世界からの『意図』は、あらゆるところにサインを残している。

あの世とこの世を繋ぐ橋渡しのサイン。

気が付いてみれば、あちらもこちらもサインだらけではないか。

サイン探し、意図探しは楽しいと思えるようになってきた。

その奥底を探れば『真我』の意図さえも見えてくるに違い無い… 

フシギカタチのおしゃべり

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